【奥ひらインタビュー】ひらかた独歩ふぁーむ 六車樹里さん

「奥ひら」で取り戻した情熱 六車樹里さんの歩み
枚方市東部の豊かな自然と魅力に新たな光を当てる「奥ひら」プロジェクト。


この活動で商品開発と広報責任者を務めているのが、「ひらかた独歩ふぁーむ」の六車樹里さんです。
六車さんは、看護師から料理研究家へと転進した異色の経歴の持ち主。
好きなことが仕事になり順調だったはずが、とあることから精神的に落ち込むようになり、レシピづくりから完全に離れざるをえない時期もありました。
そんな六車さんが再び前向きになるきっかけとなったのが、「ひらかた独歩ふぁーむ」代表・大島哲平さんによる講演でした。
大島さんの掲げる想いに深く感銘を受け、まずはパートスタッフとして畑での仕事を始めることになりました。
土に触れる日々を過ごすうちに、驚くほど体調も良くなり、一度は失っていたお菓子作りへの情熱も少しずつ、自然と取り戻していきます。
今回は、そんな六車さんが生き生きとした生活を取り戻し、「奥ひら」に関わるまでの歩みについてお話を伺いました。
【経歴とこれまでの活動について】

——六車さんが、ひらかた独歩ふぁーむに参加されたのはいつ頃ですか?
六車:2023年の4月頃ですね。
——それまでは何をされていましたか?
元々は看護師をしていたんです。
——え、そうなんですか!?
六車:はい。でも子供の頃からパンやお菓子を作ることが大好きで、ずっと趣味として続けていました。看護師として働くようになってからも休日にはお菓子のレシピ作りをしていたりして。
そんな中、実家が枚方市内で喫茶Mutterというお店をしているんですが、そこのお菓子を作ってほしいと頼まれて、それがきっかけで自宅に製菓の工房を作ったんです。

——自宅に工房を作ったんですか?
六車:そうです。自宅の新築のタイミングで工房を作って、看護師の仕事と並行して、工房で製菓を始めました。そうして続けているうちに、企業さんからレシピ開発やホームページのレシピコンテンツ制作の依頼をいただけるようになって。次第にそちらの方が忙しくなってきたので、考えた末に看護師を辞めることにしました。
——趣味が仕事になって、一つの転換期を迎えたわけですね。
六車:そうですね。それで料理研究家としてお菓子作りを始めたんですが、それがきっかけで心を病んでしまうことになるんです。
——病んでしまった原因は、なんだったんでしょうか?
六車:企業からのレシピ作成や撮影の条件が厳しくて要望に答えるのが難しく…
さらにInstagramのDMで突然知らない人から批判的な意見が送られてくることもあって。
——好きなことが仕事になったのに、苦しい事が重なってしまったんですね。
六車:その頃はレシピサイトはおろかパソコンを開くことすら辛くって、そのうちレシピもまったく作れなくなり、料理をすること自体が嫌いになっていきました。
料理で生きていくって決めたのに、作ること自体が出来なくなってしまって。「これからどうしよう…」と悩んでいたときに出会ったのが、大島さんでした。

【「ひらかた独歩ふぁーむ」で働くようになったきっかけ】
——大島さんを知ったきっかけはなんだったのでしょうか?
六車:「広報ひらかた」に、地域を盛り上げようと頑張っている農家さんの特集記事が載っていたんです。それを読んで「農業で地域を活性化するっていいな」と興味が湧いて、自分の中で農業への関心がぐっと高まっていったんです。
そんな中、記事に載っていた農家さんが「食育の講演会」をするというチラシを偶然見つけるんですが、その講師が大島さんだったんです。ただ、当時は家を出ることも難しい状態で、興味があっても、結局その講演には足を運ぶことができませんでした。
——それほど精神的に苦しい時期だったんですね。
六車:でも、その後もずっと気になってしまって、自分なりに色々と調べてみたんです。そうしたら、講演のアーカイブ動画があるのを見つけて。配信期限ギリギリだったんですが、なんとか視聴することができました。

その中で大島さんは「自分が農業を続けることで、この地域、里山の風景を守っていきたい」ということを話されていて。その想いに私はすごく感銘を受けたんです。
それから大島さんのお野菜をいただいてみると、めちゃくちゃ美味しくて感動しました。野菜の持つ力強さ、味わいの濃さ、甘み、食感……すべてが人生で一番と言い切れるほどでした。
それで、その感動が冷めないうちにすぐに連絡を取り、翌月にはもう大島さんの元で働いていました。
——ここでもうひとつ、大きな転機がやって来たんですね。
六車:そうですね。畑で働くようになってからは、メンタルの方も自分でも驚くほどみるみる改善して。毎日をまた楽しく生き生きと過ごせるようになりました。


【「奥ひら」に関わるようになったきっかけ】
——「奥ひら」に関わるようになったのはいつ頃からですか?
六車:和幸カントリー倶楽部で行われたマルシェ販売に初めて立たせてもらった日に、大島さんの娘さんに焼き菓子をプレゼントしようと持って行ったのがきっかけでした。
大島さんが「こういうお菓子を作る方がパートで入ってくれたんです。」と私のことを大橋さんに紹介してくださり、その一つを大橋さんが食べてくれたんです。
そうしたら大橋さんから「うちでも作ってほしい。奥ひらクッキーとかも作ってくれない?」と依頼してくれたんです。思わぬ機会をいただけることになって、それで急いで菓子製造業の許可を取り直しました。

ーーお菓子づくりも、またやりたいと思えるようになったんですね。
六車:心を病んでしまったときに「もう一生お菓子作りを仕事にすることはないだろうな…」と思って更新せずに廃業という形を取っていたんです。
けれど大橋さんから「うちでも作ってほしい」と言われたときは、自分自身でも自然と「またお菓子をつくりたい!」という気持ちがムクムクと湧いてきて、それで再取得に向けて動き出しました。

すぐに再取得できるかなと思ったんですが、私が取得した時とは基準が変わっていたので、クリアするために夫にDIYなんかもしてもらったりして、思いのほか時間が掛かりました。そうやって無事に再取得出来て、23年の9月から「パンとお菓子 teku.teku.」として工房を再スタートさせることができました。
ーー大橋さんからは、奥ひらクッキー以外にどんなことを頼まれたんですか?
六車:彫刻家の水島太郎さんによる「アリスとウサギの世界」という作品展をTHE WAKOで開くことになり、その中で「アリスのお茶会」というアフタヌーンティーイベントもやるという話になって。そのアフタヌーンティーで提供するスイーツを作って欲しいというお話をいただいたんです。





(詳しくはこちら)
水島さんのアトリエにも二度お邪魔させていただいたりして、最終的にはアフタヌーンティーで出すスイーツのほとんどを作らせてもらいました。ちなみに奥ひらクッキーもこの時に作って出しました(笑)

そんなことをきっかけに、気づけばいつの間にか、ぬるっと奥ひら実行委員のメンバーになっていましたね(笑)
一昨年ビィーゴで開催させていただいた料理教室や、昨年開催したサイクリングツアーのアフタヌーンティーと料理教室の担当させていただいたのもとても学びがありました。










ーーそこから今では、「ひらかた独歩ふぁーむ」と「奥ひら」の広報・商品開発として関わるだけではなく、ご自身の工房での活動と大活躍ですね。とっても生き生きされているのがこちらにも伝わってきます。

六車:あくまで本業は農業の方で、パンとお菓子はぼちぼちやっていくペースで考えています。今後も美味しいお野菜と、奥ひらを通じてこの地の魅力を発信すべく活動していきたいと思います。
六車さんの「ひらかた独歩ふぁーむ」や「奥ひら」での活躍は、【奥ひらインタビュー】ひらかた独歩ふぁーむにてお聞きしていますので、そちらもご覧ください。
